▽ 「上田経済問題懇談会」に発展

第3回会合 外部講師の招聘

 第3回目の会合までには、少し間が空いた。

74年2月21日に、初めて「上田経済問題懇談会」(略称経問懇)という名称で外部から講師を招くことになった。

野村耕作さん(産経新聞論議木女員)と坂元佶三さん(行政管理庁副監察官)である。

それぞれの立場から「景気の見通し」を語って頂き、質疑応答が行われた。

出席者34名。「講師謝礼」が必要なので参加啓(は3千5百円と決めた。

 この年に中東戦争による第一次石油ショックが起きた。田中内閣の「列島改浩一論」

がもてはやされる一方、狂乱物価・インフレは昂進し、日用品不足の噂が、スーパー

で「トイレットベーバー争奪戦」を演ずることになる。景況を見通すことはむずかい。


第4回会合

 第4回日の会合は74年H月26日に開かれた。

この日、田中首相は、8月にウオーターゲート事件で辞任したニクソン米大統領を追ぅょぅに辞任した。雑誌「文藝春秋」11月号に立花隆の「田中角栄研究その金脈と人脈」が載り、田中首相の弁明しょぅのない「土地転がし」などの疑惑が明らかにされたことで、辞任表明に拍車を掛けたかもしれない。

 

 この日の講師は花岡偆さん(35期・農政タイムズ社長)丸山英人さん(36期・

地域開発公団理事)、滝沢敦美さん( 46期・山一證券部長)の3先輩。

それぞれの経歴に基づいた体験談・感想を拝聴した後、参加者の質問に応じて頂いた。丸山さんは池田内閣当時、物価政策課長として活躍された方.大阪国税局長から現職に転じられた。滝沢さんは「不況下の株式市場」というお話を、資料を示しながらなさったが、「見通しが立たない相場に無理は禁物」と注意された。

 

参加者は25名、会費は3千円であつた。


第5回会合

 第5回日は75年2月25日に会合を持った。

迎えた講師は井沢保さん( 53期・東海大学)と山一證券部長の滝沢敦美さんで

「円の先行き」と「景気の動向」という講演をして頂く。

この日参議院議員の小山一平さん(3期・元上国市長)が駆けつけてくださり、

国政に携わる立場から当時の政治(三木内閣・前年の参院選の保革伯仲)、経済(中東

戦争によるオイルショック)にスポツトを当てて話された。

 

参加者は33名であつた。今回の会場は恵比寿の料亭「みづほ」、会費は3千5百円

で赤字が1万4千円出た。


第6回例会

第6回例会(この時から「例会」と称した)は、76年2月23日であつた。

専修大学講師の青木信治さんをお招きして「予算論」という講演を聴いた。

参加者は27名であつた。



会の運営 〜世話役から代表幹事へ〜

第1回の会合から第6回例会まで、「みづほ」に集まつた時を除き、地下鉄神谷町に

近い東京農林年金会館で会合を開いていた。世話役の中心には小木曾誠さんがいたが、76年4月に小木曾さんが、四同行管の相談課長として高松に転任されたので、幹事

会は牧内操さんに代表となってもらい、今後の運営をしていくことになった。