草創期の松尾倶楽部

第1回会合 「ひるめし会」からスタート

 第1回日の会合は「ひるめし会」と名付けて「ニクソン・ショック」直後の71年8月18日の昼どき、芝西久保巴町の東京農林年金会館(現虎ノ門パストラル)の和室に18名が参集した。会費は2千円であった。

 当時の会館長、洒井諭一さん( 26期)が上田高校の先輩である関係で、同窓会の会合はここで開催されていた。この日、講師にお迎えしたのは坂井実雄さん(28期・元大蔵省幹部職員)、賓賓は矢島五郎さんであった。両先輩からは、この情報交換会の立ち上げに際し、祝福と励ましの言葉を頂戴した。特に矢島先輩は以後、生まれたばかりのこの会のために物心両面の援助を惜しむことなく与えてくれた。会合では専ら「ニクソン・ショック」への対応策が議論の的になった。

 めでたく最初の会合を持つことができたのは、中心になって世話をしてくれた小木曽さんの存在が大きかった。松尾倶楽部が今日まで続いたのも、情熱を持って軌道を敷いてくれた彼のおかげである。

 


第2回会合

 第2回会合は、72年2月3日に農林年金会館で開かれた。

この回から夜間の開催となる。メンバー全員が仕事をしていたため、夜の方が集まり易く、ゆっくり話ができるというのが、大方の意見であった。この夜の参加者は29名であった。

講師は前回に続いて矢島五郎さんを迎え、ほかに滝沢正さん(35期・厚生省公衆衛生局長)と深井安児夫(あるふ)さん( 36期・(株)ウエラ顧間)の諸先輩であった。

 この会では講師それぞれの体験談が披露された。

スタート当初は会員数が少なかったので、同窓の先輩の好意に甘え、講演をお願いした。先輩方は謝礼金も受け取らず、逆に参加者である後輩の僕らを二次会などに連れ出して、その費用を負担してくれたことも度々であった。72年7月には54歳の田中角栄氏が首相になり、9月には日中国交回復が実現した。