ここには、松尾倶楽部の会員相互の交流を目的とした掲示板を設置しています。
松尾倶楽部についての 苦情・問題・意見・賛同 なんでもお寄せください。
[00184]Re:第151回新年例会 | |
投稿者:堀内弘栄(51期)<hiroe-horiuchi@nifty.com> 投稿日時:2014/02/07 07:25:21 > 松尾倶楽部 第151回新年例会 は 平成26年2月1日 > 午後2時~5時 場所 ホテルフロラシオン青山 で開催された!。 > その様子をアップしました。 ご笑覧下さい!。 > http://www.geocities.jp/horiuchihiroe/jikosho/ueda_matsuo140201.html > です。 |
00182]関東同窓会の件 | |
投稿者:清水通男(66期)<shimizu@s-giken.com> 投稿日時:2013/04/10 20:15:51 今年の6月30日(日)は上田高校関東同窓会の総会・懇親会です。 私が実行委員長を仰せつかりました。すごいプレシャーを感じておりますが、当番気だけが参加しても意味がありません。諸先輩もたくさん来て下さるとうれしいです。 |
[00181]フェイスブックは苦手です | |
投稿者:清水通男(66期)<shimizu@s-giken.com> 投稿日時:2013/02/18 13:21:50 FACEBOOKへ登録をしておりますが、忙しくてほとんど見る暇がありません。松尾倶楽部の会員の方がFACEBOOKで私宛にご連絡くださっても返信ができません。FACEBOOK を使用するにはIDとパスワードが必要ですが、このパスワードを忘れてしまい、アクセスもできません。最近すぐにパスワード設定機能のものが増えすぎていて困っております。 私も技術の進歩に取り残された古い世代になってしまいした。 |
[00179]幹事慰労会 | |
投稿者:清水 投稿日時:2012/10/11 16:55:02 平成24年10月11日(木)の今日、ホテルニューオータニにて 長い間松尾倶楽部の幹事をして下さった50期の小林さん、61期の 井上さんの慰労会を行いました。お二人ともお忙しすぎて幹事を離れます。 今後ともよろしくお願いいたします。 |
[00177]サーバダウンの件 | |
投稿者:清水<shimizu@s-giken.com> 投稿日時:2012/06/27 15:28:30 ニュースでご存知の方もおられると思いますが、ファーストサーバの障害で、 データ消失が起き、松尾倶楽部のホームページも含めて見れなくなっていました。 松尾サロンも完全復旧はだめでしたが、ある程度復旧しました。 今はやりのクラウドシステムも怖いですね。バックアップをとるようにするしかありません。 会員の皆様にはご迷惑をおかけしました。 |
[00175]女の一生、男の一生 | |
投稿者:濱村邦夫(56期)<hamakuni05@aol.com> 投稿日時:2011/09/02 00:17:15 山際勝三郎 ― 山極勝三郎 朗読劇「母への手紙 女の一生」を見た。森本薫の原作を大きく翻案してあると期待したが、原作そのものであった。 「女の一生」の元祖はフランスのモーパッサンである。父も夫も息子もダメ男。女の幸せは男次第。という訳だが、ある読書感想文に「私は男に左右される一生を送りたくない」という勇ましいものがあった。 森本薫の描く「けい」の父は戦死というだけで、性格まではわからない。夫になった堤伸太郎は商会の跡継ぎだったが、性格が優しすぎて修羅場の交渉に不向きだった。けいは女ながら実業の才を現して商会を守った。二人の間には娘だけで息子はいなかった。日露戦争から太平洋戦争までが扱われている。 この時代、男の一生は肺結核にかからないで済むか、戦争に取られるか否か、戦死したか帰還できたかに大きく依存した。先日まで五味川純平原作の映画「人間の条件」6話をやっていたが、主人公梶は日本の軍隊の不条理な扱いに抵抗し、ロシア軍の扱いに抗議したが、結局シベリヤの荒野に野垂れ死にしてしまった。 公園のケヤキの林でセミがうるさく啼いていた。「セミに一生」を想像した。地下生活が長い。土が軟らかければ楽だろうが固かったら苦労だろう。地上の生活は短い。メスを求めて啼き暮す。階段などで野垂れ死にしている。 |
[00173]少数派 | |
投稿者:濱村邦夫(56期)<hamakuni05@aol.com> 投稿日時:2011/08/11 10:32:29 「幸村と政宗」の再放送を見た。両者は1回だけ対決したという。大阪夏の陣である。幸村は少数派として戦ったから、ひきつけてから発砲するとか、奇襲などのゲリラ的戦術を得意としたという。戦国時代の戦いといえば「調略」(恩賞をえさに味方につける多数派形勢工作)が主流で数を重要な要素とした。政宗は白装束で家康の前に現れて運命をまかせる姿勢を示した。幸村は豊臣に忠誠を示して、徳川につかなかった。 幸村と政宗は特に憎みあわねばならぬ仲ではなかったらしい。幸村は娘の一人を政宗側に託したという。 幸村の側室は竹林院といったという。竹林の七賢にあこがれたのか、裏に竹林があったのか、死後かってに名前を贈られたのか。竹林院は大谷刑部吉継の娘である。大谷刑部は業病(ハンセン病)を患っており、顔を白布で隠していたという。何歳で発病したのか、症状はどの程度だったのか、知らないが、幸村は妻を娶る際に逡巡することはなかったのであろうか。 松代の長国寺には信之と4代目藩主の廟がある。黒塗りに金の飾り。なかなか立派なものだ。信綱、昌輝の墓は真田町の信綱寺にあるという。行ったことがない。明大前近くの和田堀廟所に確か3,4基の真田家の墓があったはずだ。真田家の子孫は六文会という組織を持っているらしい。そういえば私たち上田高校56期6組も六文会を僭称しているが、商標登録にひっかかるだろうか。世が世ならお目玉をくらったかもしれない。 |
[00172]イオンエンジン | |
投稿者:濱村邦夫<hamakuni05@aol.com> 投稿日時:2011/07/15 04:07:50 関東同窓会で「はやぶさ」のイオンエンジンの話を聞いた。はやぶさは小惑星まで行って鉱物を採ってきた。一時行方不明になり、エンジンの故障もあったが、クロス接続とかでうまく調整して奇跡的な帰還を果たした。 話題提供は81期の堀内康男さん。高校時代は理科班ではなく、英語班に所属したという。京大、東大の学生時代から研究に取り組み、原理の上に改良を重ねて、奇跡の長距離飛行を成功させた。喩え話がわかりやすく、簡潔でよかった。 一度出来上がった技術もそのレベルを維持するのは難しいという。人材、資材、コスト、需要などなど。アメリカの航空宇宙局(NASA)御用の企業と共同して生き残りを図っているという。 人類が将来、相当な数で宇宙に飛び出すことは必然とも思えるが、費用の面からみたら殖民政策のソロバン勘定が合うとも思えない。未来技術は未知数だから、何とも言えないが、人口、欲望を縮小して地球上での慎ましい生活を送るのが本筋であろう。とはいえ、宇宙の資源探査、惑星の成り立ちの解明の面では意義ある一歩であったことは疑えない。 関東同窓会では先に海流や温暖化の話(宮沢泰正さん、84期)を聞いたし、宇宙科学の平林久さん(60期)は母校で生徒に講演したという。テレビ撮像管の丸山瑛一さん(51期)も高名だし、湯川秀樹教授の片腕で素領域論を唱えた片山泰久さんもいた。なんといってもノーベル賞をもらい損ねた山際勝三郎が輝いていて、上田博物館の一室を占めている。 私も大先輩に憧れて、研究者の端くれになれたまでは幸せだったが、大した成果が出せなかったのはゴク潰しで、ご先祖様に対して申し訳けないことであった。 |
[00171]水撒き | |
投稿者:濱村邦夫<hamakuni05@aol.com> 投稿日時:2011/07/13 14:38:36 上田高校関東同窓会で母校の室内楽班が6曲ほど演奏した。 初めはいかにも初心者らしくおずおずと。しかし少し調子が出てくると多数の勢いで、奔流のような力強い迫力があった。 最初の曲はバッハのカンタータ。「主よ人の望みの喜びよ」であった。 聞いたことのあるメロディーだった。 最近はYouTubeという便利なものがある。キーワードを入れるといろいろな人の演奏したものが聴ける。 円を描くような繰り返しが、たとえてみればホースで五輪のマークを描きながら、水撒きをする感じ。そこで歌詞が浮かんだ。 パラリ(6回)水撒く ソロリ(6回)すず風 チョロリ(6回)トカゲどん ギョロリ(6回)カエルどん プラリ(6回)ひょうたん ゴロリ(6回)スイカ玉 |
[00170]その後、お元気ですか? | |
投稿者:堀内弘栄(51期)<hiroe-horiuchi@nifty.com> 投稿日時:2011/05/28 15:17:15 関東甲信、東海が例年より早い梅雨入りとなりました。 さて、 その後、お元気ですか? 私ら、地域の自然保護活動が認められ、国土交通大臣賞を受賞、 第22回全国みどりの愛護のつどい・富山大会に参加してきました。 天気に恵まれ、大変楽しい小さな旅でした。 第1日5月13日 富山へ http://www.geocities.jp/horiuchihiroe/hitakane/hita11/hita110513.html 第2日5月14日 緑のつどい授賞式・植樹祭へ http://www.geocities.jp/horiuchihiroe/hitakane/hita11/hita110514am.html オプショナルツア① http://www.geocities.jp/horiuchihiroe/hitakane/hita11/hita110514pm.html オプシャナルツア② http://www.geocities.jp/horiuchihiroe/hitakane/hita11/hita110515.html です。 一寸、くどいかもしれませんが、旅の記録の個人HPですので 悪しからず、ご笑覧戴けたら幸甚です。 ではまた。 ************************************** 堀内弘栄 Mail : hiroe-horiuchi@nifty.com URL : http://www.geocities.jp/outdoors2634/ URL : http://www.geocities.jp/horiuchihiroe/ ************************************** |
[00169]教える・学ぶ | |
投稿者:濱村邦夫<hamakuni05@aol.com> 投稿日時:2011/04/15 11:08:01 上田駅で新幹線出発まで待ち時間ができたら、駅前の若菜館4Fの小宮山量平編集室に寄るのも一策である。財布の膨らんでいる人はウナギを食べるとよい。小宮山さんは94歳にして健在。時に編集室に来られるそうだから、運がよければご高説を直接聞けるかもしれない。入場料300円。小宮山さんが理論社から出した本が並べられている。主として童話である。 「地には豊かな種子を」を買った。白井透会長の「教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと」の出典がわかった。アラゴンの詩だという(p.123)。 「地には」を読むと戦争直後の日本は若々しかった、現在の日本は老成し萎縮したと感じさせられる。私たちも時代と同期して老境に入ったから、小宮山さんほどの元気はないが、何とか若さを保ちたいものと思う。 小宮山さんはやはり編集者だ。ジャーナリストの感覚で世を眺めわたし、人材を探している。引用、評論が多い。「回帰―受容―漸進」も論理的な展開というより、その時々の感想をつなげたものという感じが強い。 良寛がお気に入りのようだ。良寛といえば、高田にいた時、良寛研究家の北川省一さんと知り合った。貸本屋で貧乏暮らしをしていたが、娘と息子は優秀だった。娘は建築家、原広司(京都駅の設計で有名)と結婚し、息子、フラム(フランス語で前進)は美術評論家となりガウディを紹介したり、新潟の地すべり地帯で国際的な野外展をプロデュースしたりしている。北川さんが新潟日報の懸賞小説に入選した。「母の唾」という題だった。始まりは「去ってゆく夢の後足に蹴られて眼を覚ますと」だった。北川さんは高田図書館の良寛に関する本を借り出してボロボロにしてしまった。道義的におかしいと異を唱えて奥さんに嫌われた。「他の人が読んだってわかるような本じゃないのよ」というわけだ。結局は買って返したのだと思う。 |
[00168]真田十五勇士 | |
投稿者:濱村邦夫<hamakuni05@aol.com> 投稿日時:2011/04/15 11:05:03 八十二銀行の横の道を南に30mほど行くと、琴笙庵という蕎麦屋がある。昨年初めて入ったらツキミソウの花の開く瞬間のポンという小さな音を聞かせてもらった。今回は2回目である。おかみさん、花岡信子さんは真田十五勇士の肖像の著作権を持っており、南海鉄道の九度山駅に真田花壇が作られた時、大枚を寄付したらしい。上田市役所に近く、VIPも現れるらしいが、「同じ人間として対等にお付き合いさせて頂きます」と宣言するという。女傑というべきか。 十五勇士は十勇士プラス5で、5の内訳は幸村、大助と3人のくのいち(女忍者)だそうだ。十勇士と言ったって講談が創作した架空の人物ではないかと思うが、海野、望月、称津(根津)、三好、など地名を背負っており、それらしき人物がいたのだという。東御市称津に女草の者の立派な墓があるという。それは知らなかった。 市役所の前の通りに十勇士の幟が並んでいる。架空の人物という固定観念があるから今一つ親しみがわかない。 池波正太郎真田太平記館のビデオで太平記のさわりが紹介されている。昌幸、信之、幸村の間の会話が面白い。それが史実を反映しているとは思えないが、少なくとも小僧から鍛え上げた池波の人生観が結晶していることは否めないだろう。昌幸は石田三成を高く買ってはいなかった。それで信之には徳川方についてもらいたかったのであろう。しかし、直説法で徳川につけとは言っていない。以心伝心のやり方で徳川につくことを認めた。信之は幸村に「負け戦を戦うことがそんなに面白いか」と尋ねる。幸村は「義理のためです」とか「私には戦う技術があります」とか言わないで「わからないのです」と答える。これも一つの正直というべきであろう。目立つ赤い備えで率先、討ち死にした。 |
[00167]千本桜 | |
投稿者:濱村邦夫<hamakuni05@aol.com> 投稿日時:2011/04/15 07:42:18 上田公園の桜も盛りになったろうか。11日ごろはまだ蕾だった。街に千本桜祭りののぼりが並び、風にはためいていた。「被災地の皆様にお見舞い申し上げます」と添えられていた。ライトアップも全面的にか、部分的にか、自粛されたようである。 千本桜の命名は56期の横島庄治君がかんでいると聞いた。駅前の上田情報ライブラリーに「松尾倶楽部」の冊子が収められていたが、そこにも横島君の一文が載っている。実は800本程度しかないが、思い切って切れのよい数にしたという。それだけでも観光バスが来るようになったという。口の悪い(批判精神の旺盛な)友人は「ないものをあると言っちゃあいけねえわな」などと長野県人らしいこだわりを見せていた。 羽田孜先生お手植えの桜が枯れたとか、枯れかかっているとか言っていた人もいた。羽田武嗣郎先生銅像の近くだろうか。桜の世話をする係りの人も大変である。 弘前、高田、上田の城址公園の桜は日本三大桜名所と聞いたことがある。上田は上越市と姉妹都市の契約を結んでいる。3チャンネル、UCV上田ケーブルビジョンで上田民謡祭り(前半)を放送していた。高田民謡保存会から6人の踊手が来て「高田の四季」を踊った。この歌の歌詞は町田太郎さんが作った、町田さんは高田高校、上田高校の両方に勤めた。私は上田に19年、高田に12年住んだ。町田先生にお会いしたことはないが、歌は何回も歌わせてもらった。いわゆるご当地ソングで、高田の名所が歌いこまれている。歴史にまでは及んでいない。真田昌幸は家康に対抗するに当たって上杉景勝に頭を下げているから、歴史的な因縁もある。 禅の白隠は高田でまず悟りを開いた。白隠は飯山の正受老人(道鏡慧端)に学び、それまでの悟りが本物ではなかったことを知る。正受老人は真田信之の妾の子供であるから、高田と上田の間接的な関係になっている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E9%8F%A1%E6%85%A7%E7%AB%AF 上田城入り口の加舎白雄の句碑の歌が鳴るように直っていた。四季の句が歌われている。春は「人恋し 火とぼし頃を 桜ちる」である。「桜散る」の電報は不合格の知らせであった。本人もがっかりしたが、母がため息をついて落胆した。それから1年、予備校に行く才覚もなく、実力増進会という会の模試を続けた。 |
[00166]学説と風評 | |
投稿者:濱村邦夫<hamakuni05@aol.com> 投稿日時:2011/04/14 03:24:20 友人が稲(いな)恭宏博士の低線量率放射線治療の講演ビデオ1から6を見てくださいと紹介してくれた。私の感想は眉唾3割、共感7割といったところであった。 現在の福島第一原発の撒いた放射能は低線量率の範囲内でプラスでありこそすれ、害は何もないという。これが真実なら、政府はとんでもない間違いをやっていることになる。 思うに稲博士は大言壮語の人、ほら吹き男爵の気を持った人で、学会内で発言権が弱いらしい。そうでなければ3月25日の講演に学会内部から応援の声がでないのはおかしい。 低線量率放射線の治療効果については過去にラジウム温泉の効果など先行する研究がある。稲さんは「俺が世界で始めて」と吹く。低線量の範囲についてもあまりはっきり示していない。紫外線に対する白人、黒人の感受性の違いを言う。チェルノブイリでなぜ甲状腺がんが多発したのかの理由も説明している。従って、低線量率放射線の治療効果と言っても核種、生物種、人種、性別、年齢、食習慣、健康状態などさまざまな要因が関係し、単純ではないであろう。マウスに実験だけで全てを言うことはできない。 それにしても学問の世界には「敵が百万人といえども我行かん」の勇気(蛮勇)が必要だから、私はこういう発言が好きである。風評には付和雷同しかないが、学説には実験的な根拠がある。ルイセンコ学説やボンハン学説のようにお墨付きを与えた者がいなくなると消えてしまう「学説」もなしとしないが、これらはもともと仮説の域を出ていなかったのだ。学問は日進月歩だ。大いに議論して、正しい線を出してもらいたい。 |
[00165]上田のタイ料理店 | |
投稿者:濱村邦夫<hamakuni05@aol.com> 投稿日時:2011/04/13 16:48:56 もう40年も前になったが、タイで5年を過ごした。農業技術支援の一環で浮稲の研究をした。それをもとに後に博士号を頂いた。お風呂屋や市場で習う実用タイ語だけでは品格がないというので、週に2回YWCAに習いに通った。当時、日本人学校に来た日本人の先生にはタイ文部省のタイ語検定に合格することが義務付けられていた。小学校卒業程度のレベルである。これを受けに行って、合格点ギリギリでパスできた。そういう次第でタイは今でも懐かしい。 上田に2泊した時、ホテルの人に「近くにタイ料理の店はありますか」と尋ねた。ネットで検索してくれて、別所線の赤坂上駅近くにあるという。袋町にも何軒かあるはずだという。 袋町を歩いたら「コーラット」の看板があった。この店のマダム、及川ひとみ(チャリンヤー)さんは在日20年になるという。タイ東北部の入り口、コーラート(ナコンラーチャシマ)の出身という。タイビール(シンハ)とソムタム(青いパパイヤを刻んだサラダ)で3000円だった。 4月11日に10日後にオープンというヨウカドウのアリオから東に歩き別所線のガードをくぐったら飯場風のプレハブ舎にタイ国旗が掲げられている。スータイというタイ料理兼物産販売の店だった。ここのマダム、宮川ラビヤップさんは在日19年という。店はまだ1年経っていないという。ビールと米粉のうどん(クィッティオ)で1100円だった。若い3人のタイ女性が食べかつしゃべっていた。内容はわからない。時々わかる単語が出てきた。 この度の大震災でタイに帰った人も多いようであるが、残った人も多いようだ。 |
[00164]みなさん!お元気ですか? | |
投稿者:堀内弘栄(51期)<hiroe-horiuchi@nifty.com> 投稿日時:2011/03/19 19:38:58 長らくご無沙汰致しております。 みなさん!お元気ですか? 3.11からの東北関東大震災(M9)は大変な自然災害(津波や福島原発など・・・) となっています。 私の住む川崎は震度5前後で殆ど被害はありませんでした。 松尾倶楽部の方々は、いかがでしたか? お見舞い申しあげます。 さて、 選抜高校野球大会が3月23日から、甲子園で、開催されるようですが、今回、上田高校は不出場ですが、懐かしい甲子園への 第39回の全国23校代表になった時の、甲子園大会出場の写真を 成田邦夫(56期)さんから、頂戴したので http://www.geocities.jp/horiuchihiroe/jikosho/ueda_kanto110216.html アップしました。上田高校の校歌、応援歌にもリンクさせて貰っています。 ご笑覧の上、お楽しみ下さい。 |
[00163]ホームページをご覧下さい | |
投稿者:清水通男(66期)<shimizu@s-giken.com> 投稿日時:2011/01/06 17:51:01 やっと新年会用のホームページが出来ました。ホームページ作成用のソフトがマイクロソフトの都合で変わってしまい、 作成者には苦労をかけました。 松尾サロンに新規投稿するにはトップページの 下のIDとパスワードを入力してください。 ID matsuo パスワード mat1231 です。 削除パスワードは自分で勝手に決めて下さい。 第140回例会(新年会)会場は変更になっておりますので、 お気を付け下さい。それでは新年会でお会いしましょう |